先祖代々子々孫々悠久の歴史の中で生かされている自分

 

令和6年(2024年)1月27日。

子どもを育て、夫という他人と家庭を築き、夫の実家に触れるにつれ、世界線が独身時代とは全く変わってしまった。

ユーフォーキャッチャーでつままれてどこか異世界へワープさせられたようだ。

子どもをもってからというもの、親や親の親、先祖に思いをはせることが多くなった。

それまでは親のことなど話の伝わらない、勉強不足のノータリンくらいに思っていた。

そんな自分が恥ずかしい。

どれだけ親が苦労してきたことか。どれだけ親に大事にされてきたことか。どれだけ親に親自身の犠牲を強いてきたことか。

どれだけ自分が恩を仇で返してきたことか。

ふと夜中に申し訳ない気持ちで一杯になり眠れないことすらある。

それまでは信仰や参拝といえば神社やお寺であった。

しかし今では、親や祖父母、ご先祖様を信仰するようになった。

自分という人間は先祖に生かされているに過ぎない。

先祖代々築き上げられた立派な礎の上に、今立たせていただいている。

そして今、私は次の世代の礎を築くべく一生懸命に働かなければならない。

たった一つ石を積み違えただけで石垣は崩れるとはよく言うが、実際のところ、ダメな母親が一人いるだけでそのお家はあっという間に落ちぶれてしまうものだ。

先祖代々子々孫々、あるいは「お家」という考え方は個人を犠牲にするものでは決してない。

どうか子どもたちが私たちより少しでもいい暮らしをできるようにという願いの極みだ。