幸せになっていいんだ。誰の人生だ。

 

 

 

東京はとってもいい天気。

カラッとしてちょっと汗ばむ。晴れわたって眩しい。

天気がいいだけで、本当にありがとうございますです。なのです。

 

 

さて。

人の世に、人中に、生きるということはモジャモジャと色々な念に絡みつかれということでもある。

色々な人が色々なことを言う。

もちろん、それらを助言として真摯に受け止めるべきではある。

悩み考え身動きが取れなくなることは素晴らしい。

そして、そこからエイヤーっと一歩進めた自分はもっと素晴らしい。

しかし、、

その時、他人の言うことにあまり惑わされてはいけない。

他人は他人自身の経験則や抱えている課題(劣等感とも言う)などなどからものを言う。

他人は私の人生の過去や判断材料の全てを知っているわけではない。

そんな不十分な状態で出してきた判断や答えを真に受けて、何日あるいは何年あるいは一生を無駄にするほど落ち込む必要などない。

無論、人生をおもねる必要など決してない。

誰もが、「自分は違う!自分ならできる!」と思って決断をくだし一歩を踏み出す。

その一歩が上手くいかなければ、「あぁやっぱり自分も一緒か。こういうことだったのか。」と悲しくなってみたりする。

でも、それでいい。

やらなかったよりは絶対にいい。悔いがない。

「あぁ自分はあの時、自分ができる限りの最善の選択をして、まぁ上手くいかなかったけど、それで今ここにいるんだ。」

そう思えれば諦めがつく。

そして、「あぁここからまた改善していこう!」と思うことができる。

 

こういった他人問題は、何も人生の岐路のような大きな問題だけではない。

卑近な例に興じるが、春だから財布を買おう!となったとする。

どんな財布がいい?かわいいもの?ブランドもの?機能的なもの?値段は?

人によって何を重視するかは違う。

仮に、普段とても質素倹約に努めていた人が10年ぶりに財布を買おうと決心し、数万円のブランドものの財布を買ったとする。

同僚は財布だけがういて身の丈に合っていないと揶揄するかもしれない。

家族は、そんな高価なものを買うより、保険に入りなさい、家を買いなさいと説教するかもしれない。

こんなことを言われたのでは、やっとの思いで決断を下し手に入れた愛しい財布が台無しだ。

それまではウキウキと、目に入るだけで嬉しかった財布が、なんだかこれでよかったのかとヤキモキ不安の種になる。

これではいけない。

自分の幸せは自分で掴んでおかなければいけない。

他人は自分が財布を買わずにいた10年を知らないし、春だから、これからの繁栄を願ってこれまでとは違う一歩を踏み出そうと志新たに財布選びをした経緯も知らない。

そんな他人に幸せを壊されてはならない。 

大体、他人の言葉にやっかみ、嫉妬がないとは言い切れない。相手にしなくていいのだ。

 

とはいえ、、人中に生きるということはそう簡単ではない。。

しかし、何かを得るには何かを失わなければならない。

なんだかあの人と関わると嫌な気持ちになることが多い。。

そう思うなら、そっとその人と距離を置くといい。

そっとが難しいなら、毅然とでもいい。

 

とにかく、自分の幸せを自分で確保できたなら、全ての人は幸せになれるのだ。

だから、まず自分が幸せにならなければならない。なっていいのだ!

と言うか、なっていいとかお許しなんて得る必要ないのだ!!