何があっても自分の責任

 

 

肌寒く日差しは暖かい。

こんなに素晴らしい陽気!

ウキウキしないわけがない!yes.

さて、今日は「何があっても自己責任」という話を書きおきたい。

 

家族を持つということは一人ではなくなるということだ。

独り身の身軽さとはよく言ったもので、家族を持つと身動きが取れないように感じる事がよくある。

そうそう独り身の機動力に勝てるものではない。

まぁ独り身でも何かと人の世は身動きがとりづらいものだけども。

さておき、

ゴスペラーズの『新大阪』という曲には「明日がある限り 何か選ばなきゃいけない 僕の事あなたの事二人の事 悲しいけど全部とはいかない」という歌詞がある。

まさにこれだ。

この曲ではおそらく恋人同士が二人のことを優先させるというsweetがあるわけだが、、

現実の世界では僕、あなた、二人、どころか、、子ども、僕の親、あなたの親etcと捨てがたいものだらけである。

と、いうわけで、往々にして親という立場の人間は「子どもさえいなければ」「子どもがいたから」っと言ってしまう。

しかし、本当にそうだろうか?

寅さんだって言っている。

「ドブに落ちても 根のある奴は いつかは 蓮の花と咲く」と。

つまり、私が今、不本意な選択肢を選ばなければならないのは、それ以外の選択肢を実現できなかった自分の実力不足のせいなのである。

 

とはいえ、いや、

「だから、それで終わりですよ。自己責任です。さよなら。ちゃんちゃん♪」というわけではなく、

そういうわけですから、色々なものを甘受して、時には節を屈して、ドブの中でもがいて、それでも諦めずに虎視淡々と、何度でも機会を狙おう!

何度実力が足りず跳ね返されようとも、少しずつでも努力を諦めず、機会が訪れる度に挑戦し、ものにしよう!

と思う次第なのです。

シェアしてくーださいっ!

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