優しく育てることと厳しく育てること

近年、レジリエンスといえば注目の的。

レジリエンスとは、折れない心。失敗を恐れず、困難を乗り越え、果敢に挑戦していく心。である。

それでは、レジリエンスを育むには?というのが専らの問題なわけであるが..

大抵は、⓵子どもに共感すること、⓶否定や命令ではなく問答で導くこと、③目標を事前に決め、親がコーチとなってともに達成させていくこと、etcといった教育が言われる。

しかし一方で、「子どもは厳しく躾けなさい。子どもに厳しくできるのは親だけだ。それが本人のためになる。」という言葉もよく聞くわけで、というか、それはそうだと思う。

ここで、問題が..。優しく諭すような育児と、厳しく時には突き放すような育児、この2つは相反するではないか。

いやはや。

クマッタ。(頭痛持ちの、右往左往するクマである。)

しかし気がついた。

けっして相反するものでもないようだ。

共感することは、すべてを好き放題にさせるということではない。

すべて好き放題にさせるというのは、それこそ、甘やかすということだ。

共感しつつもダメなことはダメ。そういうこと。

 

少し話は飛躍するが..

子どもを理想の人物に育てるべく躾るというのではなく、自分が理想的な人物像を示すことが大切だと思った。

子どもを躾けようと躍起になればなるほど、えてして自分自身はけっして理想的とは言えない形相、人物になってしまいがちである。

そうではなく、子どもに対する自分自身を理想的、理性的な人物らしいものにする。

その理想的、理性的な人物を子どもは学ぶのではないだろうか。

まずは、子どもを他人だと思うことだと思う。子どもであっても一個人、他人様である。

他者に対する敬意を常に払うこと。それを身を以て示したい。(自戒)

 

 

育児は効率への挑発的挑戦だ。早いとか上手とか、そういうのは全部なし!とにかく忍耐なのである。笑

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